◎ 令和6年(2024年) 歴史研究会の開催案内・開催報告
2024年第二回歴史研究会開催報告
2024年第二回の歴史研究会が10月2日、12名の参加で行なわれました。
今回は事務局の小生が自ら世話役・ガイド役となり、テーマは「世界文化遺産の西本願寺を中心に京都駅近辺散策」ということで、歴史の宝庫である京都のほんの一部分ですが散策致しました。
集合時間の13時前には西本願寺お茶所に全員集合。
一旦西本願寺を出て隣接する龍谷大学へ。明治12年に建てられた近代建築の大宮学舎見学。石造や煉瓦造のように見えても、実際は木造で石材は柱などの木部に貼り付けられています。この工法の建物は明治初期に横浜に多く建てられましたが、現存するのはこれのみです。
ここから直ぐ近くの国宝唐門(からもん)へ移動、まず集合写真を撮りました。
外側からと内側からと見物。16頭の獅子、唐獅子牡丹、仁の政が行なわれると現れるという麒麟、そして黄石公(こうせきこう)・張良(ちょうりょう)、許由(きょゆう)・巣父(そうふ)の中国の故事を題材とした彫刻等について説明しました。13時半にお茶所へ戻り、お坊さんから西本願寺の歴史をお聞きし、境内を案内して頂きました。
西本願寺から東本願寺へ移動する途中、かつて不二製油の取引先であった藤三商会本部があった場所へ行きました(藤三商会は2003年に倒産)。当社を担当した経験のある参加者が4名(小生もその一人ですが)いて、当時を懐かしく思いましたが、新しいビルが建っていて当時の痕跡はありませんでした。
そこから徒歩2~3分の所にある、今は西本願寺の研修所になっている伝道院、創業が室町時代という和菓子店亀屋陸奥(この日は定休日)を見学しました。
伝道院は明治45年に建てられたイスラム寺院かと思われるような建築物です。
設計は伊東忠太という建築家(1867~1954年)です。「Architecture」という英語はそれまで「造家」と訳されていたのですが、「Architecture」とは家を造るだけではなく、芸術的な意味合いも含まれているので「建築」と訳すべき、と提唱した人物です。
本願寺は11年に亘って織田信長と戦いましたが、本願寺が糧食に窮するようになった時、11代顕如上人から腹持ちのする兵糧食を考案するよう命じられたのが亀屋陸奥三代目の大塚治右衛門春近で、門徒達はこれを食して籠城戦を戦い抜いたと伝わっています。その兵糧食が今も販売されている銘菓「松風」です。店は閉まっていましたが表札には大塚**と書かれていました。下見で伺った時、現在は22代目とのお話をお聞きしました。
伝道院、亀屋陸奥を見た後、徒歩10分ほどの東本願寺へ移動し、ここでは15時から始まる職員の方による東本願寺案内に加わりました。西本願寺の時と同様に東本願寺の歴史をお聞きし、境内を案内して頂きました。殆どの建物が江戸初期に建てられた西本願寺に対し、4度の大火に遭った東本願寺が現在の姿になったのが明治後期です。東本願寺の特徴は何と言ってもそのスケールです。建築面積では世界最大の木造建築物の御影堂、日本一の高さで京都三大門の一つと言われる御影堂門は圧巻でした。
両方の本願寺さんのお話を伺って、知っているようだけどあまりよく知らない、本願寺が東西に分かれている理由がよく分かった、というのがご参加頂いた皆さんの感想でした。
その後、文子(あやこ)天満宮、渉成園の前を通って京都駅前の反省会会場へ向かいました。
文子天満宮は天神信仰発祥の地です。菅原道真の乳母である多治比文子(たじひのあやこ)が自分の家の庭に小さな祠を設け、道真公を拝んでいたのですが、清涼殿への落雷等の天変地異が道真公の祟りではないかとのことで、その怒りを鎮めるために朝廷及び藤原家は北野天満宮へ菅原道真を祀ることになりました。
次に東本願寺の別邸である渉成園へ行きました。入場料700円なので、通りから中を少し見ただけですが、正面に見えたのが「高石垣」です。渉成園は「蛤御門の変」の大火で全て燃えてしまったのですが、大火で被災した建物の礎石や散在していた野石、石臼、灯篭、門柱等を集めて構築された石垣が「高石垣」です。大きさも形もバラバラな石で石垣を造るのは高度な技能と豊富な経験が必要だそうです。
歴史研究会の最後はお楽しみの反省会(懇親会?)です。今回が初参加の4名の皆さんから自己紹介と近況報告をお聞きしながら飲み放題を満喫致しました。
この次に京都を散策するとすれば、京都のど真ん中の四条烏丸から四条河原町、三条河原町を歩いてみたいと思っています。メジャーではない寺院や新選組等、幕末の歴史を訪ねるのが目的です。時期は決まっていませんが、日程が決まればかわら版やHPでご案内します。是非ご参加下さい。
歴史研究会事務局、西川
(以下の写真は当日撮った写真の他に下見等で撮った写真も含まれています。)
2024年 第2回目の歴史研究会のご案内
行 き 先 世界文化遺産の西本願寺を中心に京都駅近辺散策
開 催 日 10月2日(水)
集合場所 東本願寺阿弥陀堂門前
東本願寺の烏丸通側です。(添付写真ご参照)
京都駅では人が多過ぎるので、東本願寺の阿弥陀堂門前にしました。
集合時間 13:00
アクセス JR・近鉄・市営地下鉄の京都駅から烏丸通を北へ徒歩10分
行 程 集合場所 ⇒ 西本願寺及び周辺 ⇒ 東本願寺 ⇒ 文子天満宮
(天神信仰発祥の神社)⇒ 渉成園(外観のみ)⇒
京都駅近くの居酒屋 ⇒ 京都駅
拝観料は必要ありません。
西本願寺ではお坊さんによる境内案内(約30分)があります。
東西本願寺は浄土真宗のお寺なので御朱印はございませんが、
参拝記念スタンプが用意されています。
補足事項 (1)歩く距離はそんなにありませんが、歩き易い靴でお越し下さい。
(2)集合場所近くの烏丸七条交差点付近には「すき家」「餃子の王将」
「珈琲館」がありますので、早めに来て京都駅のレストラン街よりも
リーズナブルに昼食を済ますことも一案です。
反 省 会 京都駅近くの居酒屋にて5,000円程度の会費で16:30頃から。
詳細が決まり次第、ご参加の皆様へ再度ご連絡します。
参加連絡 (1) 研究究会のみの参加
(2) 反省会のみの参加
(3) 両方共参加
(1)~(3)のいずれかを連絡お願いします。
また、必ず携帯電話番号もお知らせください。
欠席される方もその旨ご連絡下さいますと幸いです。
反省会の会場の予約の都合もありますので、9月25日を締切と
致します。
申込み先 世話役 西川 敏 まで
連絡先はかわら版9月号をご覧下さい。
2024年第一回歴史研究会開催報告
2024年第一回の歴史研究会が4月16日、9名の参加で行なわれました。
今回は世話役の小田原徹さんの西国街道散策の続編として、灘五郷の一つである御影郷の白鶴酒造資料館見学と、十日戎大祭での福男選びが有名な西宮神社参詣でした。
この日、天気予報では雨の確率が高く、折り畳み傘持参での散策となりましたが、ご参加の皆さんの日頃の行ないによるものか、集合から解散まで雨に降られることはありませんでした。
13時半、阪神住吉駅に集合し徒歩10分足らずで白鶴酒造資料館へ到着。
ここでは小田原さんから灘五郷が京都・伏見、広島・西条と並ぶ日本酒の三大生産地であること、そしてここは日本酒造りに欠かせない米(原料となる山田錦の産地に近い)、人(丹波地方から杜氏と呼ばれる優れた酒職人が働きに来ている)、水(酒造りに適した六甲山から名水と急流を利用した水車での精米)、地(六甲山からの北風は酒造りに適し、積み出す港も近い)に恵まれているとの説明を受けました。
ワイドスクリーンで白鶴酒造の歴史を学んだ後、見学コースを回りました。館内は中華系の外国人ツアー客で一杯でした。
最後はお楽しみの無料試飲。ここでしか味わえない純米原酒は格別でした。
この後、阪神住吉駅へ戻り阪神電車各停で西宮駅へ。同じく徒歩10分足らずで西宮神社。
ここでは神職の方に境内を案内して頂きました。但し、60年に一度という本殿屋根の葺き替え工事の最中(11月末完了)で、本殿がシートに覆われていて参拝は仮拝殿にて行ないました。そして、日本唯一の三連春日造りの本殿を目にすることが出来なかったのは残念でした。(過去に撮影した写真を掲載します。)
西宮神社参詣の最後は、毎年1月10日の十日戎大祭で行なわれる福男選びのスタート地点での記念撮影です。福男を目指す若者達の気分になりました。
歴史研究会の締めはお楽しみ反省会、と言っても話題はいつもの通り。病気やケガの話、そして現役時代の昔話。それでも和気藹々の2時間でした。
次回は暑くなる前に何とか開催したいと考えています。詳細決まりましたらかわら版とHPでご案内します。多くの皆様のご参加をお待ちしています。
事務局、西川
2024年 第一回歴史研究会開催案内
今年最初の活動を下記にて行ないます。
日時:4月16日(火曜日)
集合:阪神電鉄住吉駅 13:30集合
注1)JR住吉駅ではありません。
注2)特急・快速・急行は停車しません。
西国街道散策の続編として、灘五郷の一つ「御影郷」での酒蔵巡りと
福男選びで有名な西宮神社を参詣します。
懇親会は阪神西宮駅近辺で実施します。
世話役は小田原さん。詳細はかわらばん4月号をご覧下さい。
事務局、西川